過去の旅の記録です。
※現在とは状況がかなり違うと思いますので参考にはなりません。
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【計画】東京、千葉を横断、一宮海岸に向かう。房総半島を海岸沿いに南下し野島崎経由で内房の金谷へ。ここで東京湾フェリーに乗り久里浜に出た後、三浦半島を縦断し、南関東中央を走り帰宅。
【日時】昭和61年4月2日?4月5日
【コース】(4/2)I自宅でKと合流{R20}→新宿→桜田門→日本橋→江戸川通り経由{R14}→両国橋→浜野{茂原街道}→茂原→一宮キャンプ場[キャンプ泊] (4/3){R128}→勝浦→鴨川→下三原{フラワーライン経由}→野島崎[キャンプ泊] (4/4){R410}→館山{R127}→金谷{東京湾フェリー}→久里浜→三崎[キャンプ泊] (4/5)→鎌倉→大和→町田→帰宅コース
【走行距離】約290km
《4月2日》(天候:晴)
I自宅でKと合流し、標準キャンプ装備のランドナーで7時40分出発。
R20を東に向かい、新宿、桜田門、日本橋を経由しR14に入り千葉県内へ。
昨年の真夏のコースとほぼ同じだが、季節が春なので順調に快速。
13時頃幕張のスーパーでパン牛乳にて昼食。
浜野より茂原街道に入る。街道の幅員は狭く、大型商用車が多数走っており走りにくい。
茂原からはサイクリングロードに入り、やっとこ国鉄上総一ノ宮駅へ18時40分到着。
食糧買い出し後、海岸へ出て、一宮キャンプ場(さすがにこの時季は閉鎖されていたが・・・・)へ。
暗闇の防波堤横に、ライトを頼りにツェルトを張り、パスタを作って夕食とした。
《4月3日》(天候:晴)
5時30分起床。白米ハンバーグ味噌汁コーヒーで朝食を摂り7時30分出発。
直後、Kのベニックス号のチェーンが不調なため、途中で修理する。大事は無かった。
御宿(9:20)、勝浦(10:00)と快調に走り、鴨川(11:30)にてカップヌードルとソーセージ、マグロフレークにて昼食。
天気がいいし、気温も快適なため、途中写真を撮ったり海岸でくつろぎながらゆっくりと走行。
16時40分野島崎根本キャンプ場着。時間が早いので付近を散策。
夕食はカレーライスと焼き鳥。
何張りかあり別のキャンパーもいた。
《4月4日》(天候:曇)
5時30分起床。食パン、ピーナッツバター、シーチキンとスープにて朝食を摂り7時出発。
館山(9:20)を過ぎ、金谷港へ。ここで10時55分発のフェリーに乗り(自転車730円)、房総を後にし舞台を三浦半島へ移す。
この日は天候が少し悪く波がやや高く船が揺れた。
久里浜に着岸し、キャンプ予定地の三崎地区にて適地を探すが見つからず、仕方なく三浦半島某神社脇に寝床を作り野宿。
夕食はコンビニ弁当。朝食も買ったのだが、食べてしまった・・・。
?《4月5日》(天候:曇)
宿が“公共の場所”であったので、目立たぬよう日の出前2時30分に起き、後片づけと掃除をし3時30分暗い中出発。
鎌倉のコンビニで朝食を買って食べ、7時30分に相模大野駅で解散しそれぞれ帰宅コースをとる。
その間、町田市内でノートン号後輪がパンクし修理。10時15分自宅到着。
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4月の房総はたいへん快適だったことを覚えています。
また、キャンプ・野宿と自炊が基本で、旅行費用は総額4千円ほどでした。