【大戦中の特殊船】9 マルユ、炎の戦海へ―陸軍潜航輸送艇

「左170度、敵潜浮上っ!」

比島決戦最中、燃えるフィリピン海域。
昭和19(1944)年12月30日夜半、ルソン島サンフェルナンドからマニラへの任務航海中の帝国海軍第一〇八号輸送艦は左舷方向に浮上した明らかに日本海軍のものとは違う二隻の潜水艦を発見、直ちに攻撃態勢を整えたものの、よく観察するとお世辞にも洗練されているとはいえないその艦影は米海軍所属の潜水艦とも思えず、輸送艦艦長川島祐大尉は攻撃命令を下しませんでした。
海軍兵たちがいぶかしんでいるなか、その国籍不明艦二隻は戦闘態勢を取らず悠々と航進を続け、やがて付近の岬鼻先向こうへゆっくり姿を消しました。

海軍輸送艦が遭遇した “謎の国籍不明潜水艦”、実は友軍である帝国陸軍所有の艦艇でその名を「三式潜航輸送艇」(別名、丸ゆ:まる付の “ゆ” の意:以下 “まるゆ”)といい、名称が示すとおり “輸送艇” (陸軍船なので艦ではない)であって魚雷等攻撃火器を持たない “潜水艦” でした。
“まるゆ” の建造計画は、陸軍空母とほぼ同じ観点から、南方への物資輸送において「海軍頼りにならず」といったところからスタートしたプロジェクトです。
恐らく当時の決済した陸軍首脳達は、「同じ日本人の海軍が造れるだから我々でもできる」と思ったのかもしれません。

三式潜行輸送艇

(まるゆ一型:かなりデフォルメ)

ただし、発想としては必ずしも滑稽ともいえず、昭和18(1943)年以降、慢性的になっていた海軍艦艇(雇用船含む)を使った南方戦域への物資輸送船団の損失を陸軍としてはなんとしても食い止めたいため、潜水艦を用いた輸送作戦を起案したことはたいへん理にかなっています。
ただしそれが海軍に黙って陸軍主導で設計から初め、造船経験のない(と思われる)機関車用ボイラーなどを製造していた鉄鋼関連会社(日立製作所笠戸工場)に発注したところに少なからず陸軍の高いおごりを感じざるを得ません。
とうぜんながら造船は一筋縄ではいかず、悪戦苦闘を繰り返すうち、計画を嗅ぎつけた海軍は最初は中止を要求したようですが、意固地なまでにそれを受け入れない陸軍に業を煮やし渋々技師を派遣し建造を手助けをしたといいます。
この辺りは、「消耗するいっぽうの潜水艦をリクサンも造るならこれ幸い」とこれまた海軍のしたたかな思惑もあり、陸海両軍の仲の悪さが逆に一致してしまった事も背景にあるようなないような・・・・

そして全長41.41m、排水量274.4トン(水上航行時 水中では370トン)の小さな潜水艦?“まるゆ” 試作一号艇が開戦からちょうど二年目の18年12月8日、日立製作所笠戸工場から陸軍に引き渡され、同30日柳井湾にて、海軍関係者も招待された席で潜航試験をすることとなりました。
しかし・・・
海上にお披露目された一号艇は、停止した状態で “すっぽん” と海中に没してしまったのです。
これは、“まるゆ” 建造のために参考にしたとされる民間潜水艇『西村式豆潜水艇』 1) と同じ “沈降式” と呼ばれる潜航方法であり、海軍の水上航走から潜航するそれとは余りに対照的といえます。
陸軍側からは万歳三唱と歓声が上がったのと逆に、海軍側は「落ちた・・・」(海軍隠語で “水没”)と騒然となったそうです。
ともかく “取りあえずの結果” を出せたということで、即量産体制がとられ終戦までに40艇(38艇とも)建造されたといいます(これを一型といい、改良二型も設計段階だった)。
船員はすべて戦車兵を中心とした陸軍兵士(なお帝国陸軍には陸軍船舶兵―暁部隊 という兵種は存在した)でしたが、海軍から教育を受けた精鋭揃いでした(とは言っても海軍での潜水艦教育に4年かけるところを僅か3ヶ月で仕込まれたという)。

竣役した “まるゆ” は、比島方面など戦地輸送に投入されましたが、航行能力そのものが欠点(安定航行及び潜航、急速潜航不可、非力な航続力(航行速力:水上7.5ノット、水中3.5ノット 航続距離:推定約1500浬))であり、航行は専ら夜間浮上して行い会敵時は岩礁の如く身を固めやり過ごしたといいます。
戦地輸送における切り札として陸軍が大いに期待した本艇 2) ですが、戦局既に比島防衛戦(捷一号作戦)?まっただ中で、37mm砲(戦車砲を改造)以外ほぼ無防備、通常航行すら怪しい上、作戦輸送をするにはわずか24トン(輸送人員約40名)とあまりにも搭載物資が少ないことも相まって終戦時まで思うような結果を出すことはできませんでした。

さて完成40艇のその後ですが、一号艇、二号艇、三号艇はフィリピン海域で戦没、八号艇が伊豆下田港で受けた空襲により沈没、他一艇が朝鮮群山海域で暴風雨による座礁事故で転覆、終戦時に残った35艇はすべて米軍により海没処分されるという運命を辿りました(“まるゆ” の壮絶な比島への作戦航海については光人社の『陸軍潜水艦』に詳しく書かれていますので興味のある方は読んで頂きたいと思います)。

戦後、ことあるごとに酷評されてきた “まるゆ” ですが、当時潜水艦に対してはシロウト同然だった陸軍関係者と技術者、工員さらには教育現場と乗組員の陸兵たちが短期間に40艇も建造し運用できた自体驚嘆すべき事であり、私はそれらの努力と実行力を携えた先輩達を尊敬して已みません。
また、本プロジェクト自体が陸軍がガダルカナルの戦訓を率直に反省していた事実の現れでもあるにもかかわらず、海上護衛と輸送を軽視し、あくまで艦隊至上主義であり続けた海軍側の最大の欠点、それに陸海軍の不仲という多要素が “まるゆ” を不当な評価にしてしまった所以であると思います。

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1) 西村式豆潜水艇:山口県大津郡三隅村出身の漁業・海洋実業家西村一松(明治17(1884)年?昭和32(1957)年)が発明した珊瑚採取用の民間潜水艇。西村は昭和4(1929)年に深度300m(一説に400m)まで潜航できる一号艇(14排水トン)とその改良型である第二号艇(24排水トン)を昭和10年に開発した。
ちなみに第二号艇は、乗員が4?6名で全長10.78m、船幅1.83m、潜航深度350m、速力(水上)6ノット(水中)5ノット、潜航時間は10時間というかなりハイスペックな民間艇で、空気浄化装置や2本の作業用マジックハンドまで備えていた。
昭和14(1939)年に起きたイ63潜沈没事故の救難作業にも従事し、その実績などを着目していた海軍が同艇に更なる改良を加えた海難救援潜水艇を二隻建造した。
2) “まるゆ” は大本営陸軍部から「決戦兵器」と位置付けられ、航空機に次ぐ順位として優先して建造を行ったとされる(思うに海軍部は冷笑したに違いない)。

○補足―帝国海軍の輸送潜水艦について
“まるゆ” と同様のコンセプトを持った本家海軍の輸送潜水艦も存在する。

【伊351型:潜補型】
計画当初は飛行艇中継艦だったが、大戦末期に艦内に500キロリットルの油槽を備えた戦闘輸送艦となる。
二艦起工されたが一番艦イ351潜(昭和20年1月竣工)のみ竣役し、二番艦イ352潜は完成直前に敵機の空襲により沈没。イ351潜は南方資源拠点と内地を往復する作戦航海を行ったが昭和20年7月14日ボルネオ沖で敵潜の雷撃により撃沈された。
排水量:水上2,650トン 水中4,290トン  全長・全幅:111×10.2m
速力:水上15.8ノット 水中6.3ノット
航続力:水上14ノット/13,000浬 水中3ノット/100浬
主要兵装:8センチ迫撃砲×4門 53センチ魚雷発射管4門・魚雷4本
同型艦:イ351 イ352(未成)

【伊361型:丁型】
海軍陸戦隊の奇襲揚陸専門艦として計画されたが、ガ島戦以後に最大85トンの貨物を搭載可能な輸送艦(兵装は基本的に自衛火器のみ)に変更され建造された。なおイ372潜はシュノーケル実験艦と言われているが定かではない(注:『伊58潜帰投せり』によれば帝国海軍でシュノーケルが装備された潜水艦は終戦まで一艦もなかったとされている[追補])。
排水量:水上1,440トン 水中2,215トン  全長・全幅:73.5×8.9m
速力:水上13ノット 水中6.5ノット
航続力:水上10ノット/15,000浬 水中3ノット/120浬
主要兵装:14センチ砲×1門 25ミリ機銃×1挺 (他イ361潜のみ53センチ魚雷発射管2門・魚雷2本)
同型艦:イ361 イ362 イ363 イ364 イ365 イ366 イ367 イ368 イ369 イ370 イ371 イ372
(イ361、イ363、イ366、イ367、イ368、イ370、イ372の7艦は後に回天攻撃艦に改装)

【伊373型:丁型】
イ361型の強化改良型。110トンの貨物と150キロリットルの航空燃料を搭載できた。一艦のみ竣役。
排水量:水上1,660トン 水中2,240トン  全長・全幅:74×8.9m
速力:水上13ノット 水中6.5ノット
航続力:水上13ノット/5,000浬 水中3ノット/100浬
主要兵装:8センチ迫撃砲×4門 25ミリ機銃×7挺
同型艦:イ373

【波101型:潜輸小型】
前線基地へ補給物資を隠密輸送するために建造された小型艦で60トンの物資を搭載できた。スペック的には “まるゆ” にいちばん近いが約二倍の航続力があり速力も早く搭載貨物容量も大きい。大戦後期、近海輸送に従事し戦没はしなかったものの全艦戦後に海没処分された。
排水量:水上370トン 水中493トン  全長・全幅:44.5×6.1m
速力:水上10ノット 水中5ノット
航続力:水上10ノット/3,000浬 水中2.3ノット/46浬
主要兵装:25ミリ機銃×7挺
同型艦:ハ101 ハ102 ハ103 ハ104 ハ105 ハ106 ハ107 ハ108 ハ109 ハ110(未成) ハ111 ハ112(未成)

[追補] これは橋本艦長の記憶違いか。シュノーケル装置は、終戦末期のウルシー攻撃作戦に参加する第一潜水隊所属四艦イ13、イ14、イ400、イ401が昭和20年5月末に装備された実例がある。

 

引用参考文献:
(1)『陸軍潜水艦』土井 金二郎 光人社、2010年11月19日発行
(2)『伊58潜帰投せり』橋本 以行 朝日ソノラマ、昭和62年1月16日発行
※本書は戦記だけでなく潜水艦の技術や運用などについても詳しい
著者はイ58の艦長
(3)『日本の戦史別巻5 兵器大図鑑』毎日新聞社、1980年4月5日発行
(4)『別冊歴史読本第18(414)号 日本海軍軍艦総覧』新人物往来社、1997年7月18日発行
(5)『幻の潜水空母』佐藤 次男 光人社、2001年7月15日発行

●本戦記関連の記事は、私imakenpressの独自考察や推察推測、思考など多分に含んでいます。
●イラスト類は、複数の参考文献を基に私imakenpressが作成してます。よってディテールやスケールなど正確性に欠けます。
●帝国海軍潜水艦の名称について、呂号第五〇一潜水艦、伊号第五八潜水艦といった呼称もしくは表記が正式な用い方ですが、本記事中では当時からの俗称、略称であったロ501潜、イ58潜といった表記も併せて行っています。

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