【大戦中の特殊船】2 出撃! 陸軍空母

世界広しと言えど、古今東西の近代軍事史上日本の帝国陸軍ほど奇矯な創造を具現化させた軍隊はないと思われます。
その例が、陸軍建造の「航空母艦」と「潜水艦」です。

【大戦中の特殊船】2 では、そのうち「陸軍空母」を取りあげます。

船名は、あきつ丸、にぎつ丸、熊野丸、ときつ丸の4隻が存在しましたが、完成したのは「あきつ丸」一隻で、「にぎつ丸」は航空艤装未成竣工、「熊野丸」は航空艤装途上のまま宇品港にて終戦を迎え、「ときつ丸」も終戦時未完成でした。

あきつ丸

この空母は船種こそ、特殊輸送船「神州丸」の流れをくむ “輸送船” なのですが、その実体は全通式飛行甲板を備え、レシプロ機(陸軍機 キ76)の運用が可能な本格的な空母でした。

大戦中、こと中期以降太平洋戦域での帝国陸軍は、日露戦争における奉天会戦のような大規模な野戦があったわけではなく、初戦のマレー半島などの南方拠点への大規模攻撃以外、島嶼(点)の消耗戦に終始し、補給路(線)の確保こそが大命題となり、その点と線を結ぶための海上輸送と制空権確保こそが勝因であると陸軍は判断しました。

これまでは海軍の艦艇に輸送船団を護衛してもらっていたものの、度重なる船団損失から、いつしか “自前で護衛艦を造ろう” という理論になっていまい、その流れで護衛空母建造となりました。

しかし空母は技術的にかなり高度であり、簡単には建造できるはずもなく、昭和19(1944)年ようやく航空擬装完了(昭和18年に輸送船として既に完成していた)した「あきつ丸」は、短距離離発着連絡機キ76の運用がどうにかできるといったものでしたが、外見はリッパな航空母艦となりました。

以後の船歴で、空母として運用したかどうかはっきりとしませんが、比島防衛のための増援部隊、第23師団を輸送するために編成されたヒ81船団の一員としてマニラに向う途中の昭和19年11月15日、五島列島福江島沖で米潜クイーンフィッシュの攻撃を受け二千名以上の兵員と共に沈没しました(機関室に被雷したためその間4、5分だったという)。
なお、この船団には姉妹船「神州丸」、「摩耶山丸」、「吉備津丸」も参加していましたが、二日後に摩耶山丸もまた米潜ピクーダの雷撃により済州島西方沖で撃沈されています(戦死者約3200名)。

大戦中、本国と戦地もしくは勢力拠点間を結ぶ輸送船の護衛には、小回りのきく小型護衛空母が有用であったことは、Uボートの攻撃に終始脅かされていた大西洋での米英輸送船団のその例で歴史的に実証されており、無意味ではなかったと思われますが、いかんせん陸軍主導で進められたプロジェクトであったため、無理が相当あったことも事実です。

あまつさえドイツ、イタリア両海軍の中途半端な未成空母の例を見るまでもなく、海事造船上高度な技術を要する空母建造は、専門外の陸軍でははじめから不可能だったと思われます(それ故か同型後続船は海軍が航空偽装を行った)。

 

引用参考文献:
(1)『商船戦記』大内 建二 光人社、2004年12月12日発行
(2)『輸送船入門』大内 建二 光人社、2003年11月13日発行
(3)『日本軍小失敗の研究』三野 正洋 光人社、2005年8月15日新装版発行

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