※注意:あくまで推定ルートです。
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さて事実上の本流(西流路)を進みましょう。この辺りの下流域は、参考文献「調布の古道・坂道・水路・橋」にも書かれていますが、明治の開削時に掘られた水路ではなく、江戸期、寛文年間に開発された品川用水(こちらは改めてルートを辿ります)の支流(根田耕地用水)を利用したらしいです。
『調布の古道・坂道・水路・橋』(平成13年12月10日 調布市教育委員会発行)p.4口絵より転載
(写真転載に問題があった場合は早急に削除致します:管理者)
上記、「金子村絵図」に下流域の水路が描かれています。
先のD-11地点からいわゆる金子の坂を下ると再度分岐点(D-12下写真)に出ます。
この金子分岐点で西流路は東西(便宜上AとB)2つに別れ、さらにB流路(上記写真)は2つ(B1、B2)に分かれます。
B1(上記写真で言うと右手)はしばらく下ると大町地区(旧調和小学校付近)で西堀と合流します。
(↑)B1水路跡。護岸の様子が良くわかります。小川?♪
(↑)推定B2水路跡。B2は南進したのち、旧神代水田で西流路Aと最合流します。
西流路Aは金子分岐点(D-12)から南下し、水田地帯に入ります。
下写真が水田地帯(D-13)です。(笑)
昭和38年前後に水田は埋め立てられ宅地化され団地に変わって行きました。今の「神代団地」です。
(↑)推定水路跡。
水路は、水田地帯を抜けた後、小金橋東際で野川に落ち終点となります。
(水分かれより全長約7km) 【東堀編―完】