最近知人との会話の中で、
「現在の日本の自衛隊って空母保有してないよね?」と知人が言いました。
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私から見て意外ではあるが、我が国の海上自衛隊が航空母艦を現有しているという事実を世間ではあまり知られていないようです。
お断りしておきますが、私はこの場で「憲法9条云々」「日本の軍隊云々」の是非は論じません。
悪しからず。
重ね重ね、昨今の東シナ海での騒動や、近隣の軍事大国脅威論(汗)もここでは論じません。
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では本題。
海上自衛隊の保有する空母の艦名は、その名も「ひゅうが」(竣役済み)と「いせ」(艤装中)
(画像:海上自衛隊ホームページより転載)
注記:海上自衛隊『ホームページ利用上の注意』に明記された内容を理解した上での転載。
関係省庁としては、あくまで “ヘリコプター搭載護衛艦DDH” としてカテゴライズしていますが、全通(飛行)甲板を備えた純然たるヘリ空母です(現有自衛艦艇では最大の基準排水量13,950t 全長197m)。
しかしながら離着艦装置がないことから、固定翼機の運用は不可能とされています。
この二艦、日本が戦後保有を何度も検討してきた悲願の空母であって、その命名からもうかがい知れます。
「ひゅうが」も「いせ」も、先代は大戦中に竣役していた帝国海軍の航空戦艦「日向」と「伊勢」。
私としては護衛艦名を是非とも「しょうかく(翔鶴)」と「ずいかく(瑞鶴)」にして欲しかったのですが、さすがに無理だったかな。
もちろん本記事のタイトルに書いた “蘇る” は艦名だけで、コンセプトや戦術はまるで異なっています。
「日向」と「伊勢」は元々、大正時代に伊勢型戦艦として建造されました。
そして昭和12年完了の近代化改装(兵装・装甲強化や艦橋の大型化、重油専用缶ボイラーへの換装など)を施されたのち、大戦中の昭和19(1944)年に後部主砲2門を取り外し、そこに飛行甲板を取り付け航空戦艦として大改装された機動艦(基準排水量:35,500t 〔伊勢〕)で、戦艦の雷砲撃力と空母の航空戦力を備えた “スーパー艦” ・・・のはずでした。
しかしながら、とても空母のような機動力を得ることなどできず、かつ戦艦同士の砲撃戦が行われるような戦況ではもやはなく、中途半端な設計思想と曖昧な用兵だったため、折角造った飛行甲板とそれに装備されていた射出機は活かされる事はなく(改装型攻撃機彗星だったとされるが、搭載機は揃えられなかった)、航空母艦ではなく、今まで通りの戦艦(つまりあまり用途がない)として扱われました。
ただ両艦とも、航空機を運用するため容量の大きいペイロードを持っており、それを利用した強行物資輸送作戦である、北号作戦(ほくごうさくせん)で大活躍をみせます。
さて現代の「ひゅうが」と「いせ」、艦容は空母ですが、旗艦機能を備えた「DDH(Helicopter Destroyer)」と呼ばれる対潜掃討作戦用に設計された戦闘艦です。
ただ容量の大きい船内には、充実した医療設備や災害救助用の設備なども充実していて、その方面での作戦任務も行うことが可能となっています。
孤艦による作戦行動をとることは不可能かと思われますが、護衛艦隊の中枢としての役割は非常に大きく、他国が武力を用いた島嶼占領など有事が起きた際、奪還作戦を行うべく強襲揚陸的任務も私としては大いに期待しています。
ただし、揚陸兵装の追装やそれを可能にするための政治的配慮は必要かな(今の日本政府でできるのか!!??)。
現在、(仮称)22DDHと呼ばれる「ひゅうが」クラスと同じく全通飛行甲板をもった基準排水量19,500tトン、全長248mの新鋭艦が建造予定です。
サイズだけを見れば大戦中の空母と遜色ない(米海軍のヨークタウン級が排水量19,800t、全長247m)威風堂々とした艦となりますが(しかしながらレシプロ機主体で、現在の用兵と大きく異なる大戦中の空母と比較すること自体ナンセンス)、コンセプトが中途半端になってしまう可能性もあり、しっかりと周辺海域の情勢を見据えた上で竣工してもらいたいところです。
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引用参考文献:
(1)『別冊歴史読本第57(255)号 日本海軍総覧』新人物往来社、1994年8月11日発行
(2)『自衛隊図鑑 2008-2009年版』学習研究社、2008年10月11日発行