北府中の引き込み線跡と陸軍燃料廠―陸軍燃料廠について 発足編

地元調布市の隣、府中市に出掛けてきました。
府中市は、それこそ良く行ったり通ったりするので行くこと自体は珍しくはないのですが、前に買った一冊の本を再読し、改めて調べたくなりました。
本の名は『陸軍燃料廠』(光人社、2003年5月14日発行)で、本書にかつて府中にあった燃料廠の見取り図の中に引き込み線が描かれており、例によってそれに引き込まれました。(笑)

この燃料廠の歴史的背景の話とJR武蔵野線北府中駅周辺の散策をレポートします。

※imaken節で、テキスト主体からシリーズを始めます。m(__)m
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府中市北部に、緑に囲まれた憩いの場があります。
広い都立府中の森公園を中心とし、運動施設や美術館、芸術劇場などおよそ平和的で文化的な施設が多数点在しています。

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しかしこれら平和的な施設の東隣には、航空自衛隊府中基地と米軍施設(米空軍第374空輸航空団の施設)があります。

実はこれら公園と基地を含めた敷地17万坪強こそが、戦前に置かれた『陸軍燃料廠』の跡地で終戦時まで主に航空燃料の研究を行っていました。

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同廠は昭和14(1939)年頃、長谷川基陸軍少将(のち中将)のもと、陸軍科学研究所の技術者や石油会社の民間技術者を招集し陸軍省内で発足した機関としてスタートし、その後小石川にあった旧砲兵工廠に移り、同15(1940)年8月1日に正式に『陸軍燃料廠』が発足しました。

目的は、陸軍に必要な石油を含めた燃料及び副生品の製造、その他製品検査や原料購入、貯蔵、製油製造の調査研究などおよそ燃料に関する全てのことを執り行うことでした。(しかしあくまで“陸軍”に特化しているところがミソ)

当時航空燃料として着目されていた燃料に「石炭液化油」(人造石油)があります。
その名の通り、日本で大量に採炭できる石炭を液化させ油状にしたものですが、レシプロ機用の高オクタン揮発油を精製(非常に多量の水素を用いる)するには大がかりなプラントが必要となります。
陸軍は本腰入れて「石炭液化油」精製に乗り出したのですが、当時はまだ研究段階で、試験プラントを建設せねばなりません。
そこで府中町と多磨村の農耕地や雑木林などを買収し上記プラントを含めた総合研究施設を昭和15(1940)年5月から建設を始めました。

風雲急を告げる、開戦前夜の昭和16(1941)年3月には燃料廠本部も同地に移転され、陸軍の燃料全般を扱う研究施設として誕生しました。

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【注意事項】本レポートは、すべてimakenpressが私的に調べ(文献調査および聞き取りなど)たもので、推測・推理など相当量含みます。歴史的・学術的価値はほぼ皆無ですのでご利用には十分ご注意ください。

引用参考文献:
(1)『陸軍燃料廠』石井 正紀 光人社、2003年5月14日発行
(2)『商船戦記』大内 建二 光人社、2004年12月12日発行
(3)『自衛隊図鑑』学習研究社、各年版
(4)University of Texas Libraries “Perry-Castaneda Library Map Collection”
    http://www.lib.utexas.edu/maps/japan.html
 Historical Maps?–? Japan City Plans (Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946 List of map images in this collection:) “Chofu
    http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/txu-oclc-6549645-10.jpg

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