武蔵野競技場線―番外編1 中島航空金属への軌道

廃線ツアー、頭の中で楽しんでます。(笑)

武蔵野競技場線ですが、昭和20年代のごくわずかな期間を旅客輸送に従事し、輝くことなく廃線となりました。

戦前戦中、中島飛行機武蔵製作所時代の軍需物資輸送を担っていた頃の運行を知るすべはありませんが(もちろん軍事機密であるが、富士重工社史に多少の記述があるか?)・・・

さて、その武蔵製作所の北西約4キロほどの所、現在のひばりが丘団地付近に同じ中島飛行機の系列会社である中島航空金属の田無鋳鍛工場がありました。

手元の資料『知られざる軍都多摩・武蔵野』(洋泉社)によると、その田無鋳鍛工場への簡易軌道が存在したとあり、航空資材の搬入を中島航空金属から行っていた(推測)と思われます。

しかし残念ながら現在遺構や痕跡は殆ど存在しないとのことです。


より大きな地図で 中島航空金属・武蔵製作所簡易軌道 を表示

またその田無鋳鍛工場から更に北西、現在の西武池袋線東久留米駅まで伸びる貨物引き込み線もありました。

※どちらの軌道跡とも現地未調査。

そしてもう一つ中島飛行機関連の施設として、調布飛行場(基地)とほぼ隣接するかたちで三鷹研究所(現、富士重工および国際基督教大学)がありました。

こちらは武蔵製作所とからめて、こちらは近々レポートします。(めちゃ地元(笑))

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