※注意:あくまで推定ルートです。
より大きな地図で 中島飛行機支線と浄水場支線 を表示
さて、昭和20年代でロクサン形電車に乗っているつもり(もしくは電車になった(笑)つもり)の私、終点を目指します。
なにせ「すわっ枕木かっ」っと思ってしまうようなアイテムを見つけたりちょっとした興奮状態です。(←ちょっとアブナイおっちゃんかも)
鉄路は北に進むと玉川上水にぶつかります。(A-4)
(↑)水路に沿って密集して生えた草木が涼しげです。
鉄柵から身を乗り出して上水を観察します。
ヲ、此ハッ!
(↑)青い作業用ネットの横(上記写真手前)にひっそりと・・・
そうです、まぎれもなくこれは鉄道橋梁の跡です。
?
しばらく遺構を眺めます。
橋を渡るロクサン形が何やら頭の中を横切ります。
ガタンゴトン、ガタンゴトン、・・
アルファ波で頭の中が満たされ(笑)先に進みます。
ただし遊歩道は上水で途切れており、迂回して対岸に渡ります。
(どうも遊歩道横に橋を架橋中の模様)
遊歩道はまだまだ続きます。
道は良く整備されておりとてもキレイです。
周辺も畑が多く往時を偲ばせます。
遊歩道は、そのまま公園となっているところも多いです。
(↑)公園には池もあり、ちびっ子達が水遊びをしています。(A-5)
(A-5)から少し先に行くとコンクリートの構造物が道の片隅にありました。
遺構かどうかは不明ですが・・・
再び道は大きく右にカーブします。
武蔵野競技場線もう一つの急カーブで、R=300だったといいます。
ちなみに中島飛行機専用線の時は急カーブはなく、北にそのまま直線となっていて工場の構内引き込み線となっていたらしいです。
そして終着『武蔵野競技場前駅』に到着します。
(↑)グリーンパークスタジアムは現在、武蔵野中央公園となっており、当時の面影はあまりなさそうです。またどの辺りに駅があったのかよく判りませんでした。
武蔵製作所だったころの遺構もありませんが、戦争中に工場関係者220人と周辺に住む多数の方々の尊い命が奪われたかと思うと胸に詰まります。
この日も家族連れなど多数の人たちが公園を訪れており、改めて今の平和を先輩達に感謝しながら武蔵野中央公園を後にしました。
【武蔵野競技場線ツアー ―完】