武蔵野競技場線―(概要と歴史)その2

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終戦により解体された中島飛行機武蔵製作所ですが、戦後跡地の再活用ということで武蔵野競技場(東京グリーンパーク)と呼ばれる平和施設に生まれ変わりました。

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東京グリーンパークは、当時の国鉄スワローズのホームグラウンドで、観客輸送のための武蔵野競技場線は、競技開催の日とごく少数の臨時便があるときのみ使われたようです。

走行していた車両は、中野・三鷹電車区のモハ63形で編成され、通常東京から三鷹まで運転していた電車を開催日にはスタジアム前の武蔵野競技場前駅まで延長運転していました(三鷹・武蔵野競技場前折り返し運転ダイヤもあり)。

三鷹駅を出た電車は、一番南側の1番線発車の場合(支線は1番と中3番が使われた)、本線を交差しながら(本線運行に大いに支障があったと言われる)600mほど先でR=250の急カーブをし北に向かい、玉川上水を渡って五日市街道を横切り再びR=300の急カーブで東進し武蔵野競技場前駅に滑り込むルートでした。

ただ、このスタジアムは、都心から遠く客入りはすこぶる悪かったようで、1シーズンのみしか使われず、武蔵野競技場線は昭和27(1952)年から休止状態となってしまい、昭和34年11月1日に正式廃止となりました。

武蔵野競技場前駅はいったいどのような姿だったのか?
資料が極めて少なく、現在では知るよしもありませんが、参考資料とさせて頂いた『タイムスリップ中央線』(大正出版)に休止状態の時の写真が2枚掲載されており非常に興味深い資料です。

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