武蔵野競技場線―(概要と歴史)その1

私の住んでいるエリアに存在する廃線跡、武蔵野競技場線をレポートします。

以前から何回も訪れている所ですが、改めて調べたり歩いたりしてみました。

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より大きな地図で 中島飛行機支線と浄水場支線 を表示

武蔵野競技場線とは昭和34(1959)年11月1日に廃止された中央本線の支線で、三鷹駅西方約600mから本線より北に分岐し、武蔵野競技場(東京グリーンパークスタジアム)まで約3kmの区間のことをいいます。
ただし正式な線名はあくまでも“中央本線”であって、武蔵野競技場線は通称名とのことです。

三鷹駅西方 支線分岐点方向

さてこの支線、実は戦前の昭和13(1938)年に建設された武蔵野製作所と同16(1941)年に作られた多摩製作所が合併しできた中島飛行機武蔵製作所(昭和18(1943)年完成)に引き込まれる専用線から転用したもので、さらにそれ以前にあった同支線西側、武蔵境から北東にある浄水場に延びる専用線(昭和14年要部修正地形図に記載有り)を戦後に拡張する形で建設された軌道です。

武蔵野製作所は、大東亜戦争中昭和19(1944)年11月から延べ9回にわたるの米軍による空襲により昭和20年8月の終戦時にはほぼ壊滅状態でした。

その後、工場跡地が“グリーンパークスタジアム”と呼ばれる競技場として建設されました。このスタジアムは延べ5万人収容できたとされる大規模なものだったようです。

昭和25(1950)年1月国鉄スワローズが誕生し(同年にはプロ野球セ・リーグ加盟)、グリーンパークスタジアムはホームグラウンドとなりました。

その観客輸送として武蔵境から伸びていた中島飛行機専用線跡が再利用されることとなり、鉄道施設を再整備後、武蔵野競技場線は昭和26(1951)年4月14日に開通しました。

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【注意事項】本レポートは、すべてimakenpressが私的に調べ(文献調査および聞き取りなど)たもので、推測・推理など相当量含みます。歴史的・学術的価値はほぼ皆無ですのでご利用には十分ご注意ください。

引用参考文献:
(1)『タイムスリップ中央線』大正出版、2003年7月17日発行
(2)『別冊歴史読本第49(148)号 日本帝国最期の日』新人物往来社、1991年8月26日発行
(3)『中島飛行機物語』光人社、2000年6月14日発行
(4)『知られざる軍都多摩・武蔵野』洋泉社、2005年4月9日発行

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