東人獨愼録―農村青年の大東亜戦争史(3)

■昭和17年 ―皇軍シンガポールへ その2

1月20日の日記を見てみる。
北関東は、快晴ながら西風の強い日だった。

1月20日(火)晴 起床6時
大日本は神国なり。然るに日本は神の国である。
天皇は天祖大神の統を承ぐ現御神であり一億直民は神の御子である。
されば我に敵する者は必ず之を轟破する皇国は決して負けることはない。敗れることはない。
正義は神の兵の行く所、そこには何万敵も何の障害も必ず打ち敗り突き進む。シンガポールも必ず二月十一日までに陥ちるだろう。

この時点でのマレー・シンガポール攻略部隊である帝国陸軍第25軍は、クアラルンプールは既に攻略し、ジョホール水道北側のジョホールバル直前まで迫っていた。
1月20日は、近衛師団第5連隊主力と英印軍第45旅団との間でマレー半島西岸バクリで数日にわたる激戦のさなかであった。

これらの報道は約1週間後には内地にもたらされたと思われ、

1月27日(火)晴 起床6時
マレーにビルマに蘭印に英豪蘭軍と激戦となってゐる。なかんづくマレー戦線では皇軍はシンガポール目ざし猛進してゐるが敵英豪蘭軍も相当頑強に抵抗してゐる。蘭印へはバリクパパンとケンダリーに敵前上陸を敢行した。
ビルマ方面では泰が米英に宣戦布告したので日泰両軍はビルマ奥深く進んでヲり要衝モールメンも目の前に迫る勢ゐだ。比島のペダン半島では今まさに皇軍と米比軍との間に激烈な死闘が続いてゐる。

と東人は記している。
連日、破竹の勢いである日本軍の勝利報道は、東人少年に病気を忘れさせるくらい元気を与えていたのであろうか。

(つづく)

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