旅の記憶―郡山?会津?新潟

過去の旅の記録です。
※現在とは状況がかなり違うと思いますので参考にはなりません。

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【計画】輪行利用。福島県郡山から中山峠を越え、猪苗代湖を経て会津若松へ。会津を観光し、喜多方、津山宿を経て新潟市内に抜ける。
【日時】平成3年10月6日?10月9日
【コース】(10/6)輪行、JR郡山駅(スタート){R49}→中山峠→猪苗代湖→十六橋→会津若松[泊] (10/7)→市内観光{県道69号}→渕ノ上{県道7号}→塩川{R121}→喜多方[泊] (10/8){県道16号}→山都→荻野→野沢{R49}→磐越国境→津川[泊] (10/9)→水原→JR新潟駅(ゴール)
【走行距離】約197km

《10月6日》(天候:曇)
新幹線を利用し、輪行袋をひっさげ郡山駅に降り立つ。
宿泊まり仕様のノートン号を組み立て出発。
市街を抜け、R49を若松方面に向かう。
中山峠までは登り坂で、R49のピークはトンネルとなっていた。
そして猪苗代湖畔までダウンヒル。
猪苗代北岸を進み、十六橋を渡り会津盆地に入る。

JR会津若松駅に到着し、本日の宿を案内所で探し駅前旅館に投宿。

《10月7日》(天候:小雨)
起きたら雨だったが、めげずに行動開始。
午前中は、会津和歌町市内をチャリで観光。
鶴ヶ城(会津若松城)、飯森山、長命寺の土塀(小銃の弾痕がある)、武家屋敷などを回る。

 

会津戦争がまだ最近の出来事であった事がよく判る。
弾痕は生々しいし、戦争の傷跡がまだ当時のまま残っている。
気のせいか泊まった宿の女将も頑固な気がした。
一通り回った後、若松を後にし、喜多方方面に向かう。
喜多方に向かうには複数ルートがある。
もっとも一般的なルートはR121を使うのだが、雨だしあえて山側(磐越線に対し東側)の県道を使い喜多方へ。

14時頃到着し、某ラーメン屋でチャーシュー麺を食べる。
ハッキリ言って「ウマイ」とは思えなかった・・・。
食後に駅前の観光案内所で宿を探し、駅近くの旅館に投宿。
ビールを飲み早めに就眠する。

《10月7日》(天候:曇)
6時起床。
朝食を食べ出発。
喜多方から先は、県道の山道の登坂となる。
蛇崖のピークを越え、阿賀野川に出る。
山都駅前の食堂で休憩。
この食堂は昨年飯豊山域を登ったときに訪れた同じ場所。
ここの奥さんがおしゃべり好きで、小一時間雑談する。
休憩後再び県道を進む。
後は基本的に阿賀野川沿いを下流に向け走る。
野沢でR49に入り、磐越国境のピークへアタックする。

国境を越え、津川まで下る。
本日は宿場町津川で投宿。
民宿だったが(自分とライダーの2名のみ宿泊)、部屋食でご主人が、ガラガラガラ??と音を立ててワゴンで運んできてくれた。

《10月8日》(天候:晴)
8時頃出発。
再び阿賀野川に沿って走る。

 

横に大河を眺めながらの下りで、快適なツーリングとなる。
山を抜け、越後平野へ入る。
あっという間に新潟市内に入り、午前中にJR新潟駅到着。
予定では新潟に一泊する予定だったがこのまま帰ることにし、ノートン号を輪行袋にしまい上越新幹線で帰路についた。
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記録があまりなく、かなり頭の中から引き出して書きました。

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