【大戦中の特殊船】6 エース貨客船、報国丸の生涯

大阪商船(現、商船三井)は東アフリカ航路の拡充を図るため、高速大型船三隻の建造を決め、一番船「報国丸」を昭和15(1940)年6月に完成させました。
「報国丸」は、第二次欧州戦が勃発し風雲急を告げるアジア情勢下、1万トンクラスの大型船でありながら起工からわずか1年10ヶ月という驚異的な早さで完成された船で、戦前の我が国における造船技術の集大成であり、出力1300馬力、最高速度21.2ノットの俊足ランナーであるとともに、美しい船体に豪華な内装が施されたエース貨客船でした。
南米東岸航路(移民輸送)もにらんだ本船は、ハイクラス乗客用の豪華なディナールームやスモーキングラウンジ以外に、セカンドデッキ後部を三等船室とし、304名収容可能なエリアを設けるなど(貨物輸送時には船倉となる)、多目的用途にも対応可能な設計でした。?

特設巡洋艦 報国丸

多目的と言えば、彼女はその誕生からすでに運命が定められていたのかも知れません。
国家あげての総員体制が確立されつつあったこの時代、海運業もその例外ではなく、国は “優秀船建造助成施設” と呼ばれる造船における資金助成制度を設けました。
“優秀船建造助成施設” とは、国が資金援助をする代わり、国家有事の際、国が船舶を徴用できる制度のことで、この制度のもとで新造される船舶には、予め軍事用船舶への転換を容易に行えるように柔軟性と冗長性を設計段階から持たせていました。
なお、本制度下で建造された商船の中には、日米開戦後、船容の全く異なる航空母艦に改装された例もあります(日本郵船、客船出雲丸→空母飛鷹 同、橿原丸→空母隼鷹など)。
つまり「報国丸」は、その誕生の瞬間からすでに軍事利用を考慮されていた多目的船であったと言えます。

さてエース貨客船として誕生した「報国丸」は、大連航路などに就航したのち、姉妹船「愛国丸」とともに16年8月帝国海軍に徴用されました。
転換船種は、両船とも「特設巡洋艦」。つまり “商船のフリをした武装艦” のことで、武器を巧妙にカモフラージュし、航海中の敵国商船を拿捕、臨検さらには攻撃まで加える仮装軍艦として彼女たちは生まれ変わったのです。
何とも卑怯きわまりないと思われがちですが、戦時法では国際的に認められています。
美しい船影はそのままの姿となっていたことがせめてもの救いかもしれませんが、改装後の彼女たちは連合艦隊隷下、第二十四戦隊に組み込まれ、日米開戦直前の16年11月13日呉軍港から、通商破壊作戦を主任務としてマーシャル方面に向け極秘裡に出港していきました。

第二十四戦隊は、開戦を南太平洋ツアモツ諸島上で迎え、同海域を中心に索敵航海を行い、12月13日には、初めての獲物となる米船籍貨物船セント・ヴィンセント号を捕捉し、警告ののち撃沈、その後も数隻の敵国籍商船(交戦相手はないがソ連船籍を含む)を撃沈もしくは臨検を行ったものの、南太平洋上での通商破壊作戦は思った以上の成果が上がらず17年3月に呉軍港に帰投しました。

帰投後は、第六艦隊第八戦隊に組み込まれ、物資補給設備などを追加する改装を行い、4月12日、姉妹は再び南方に向け出港。マレー半島ペナン軍港を拠点にインド洋方面での通商破壊作戦に従事しました。

そして17年11月11日「報国丸」は、スマトラ、ジャワ両島間のスンダ海峡西方にて蘭船籍油槽船オンディーナ号とその護衛である英印海軍掃海艇ベンガルと遭遇、砲撃戦となってベンガルは撃破したものの、なんと油槽船であり自衛用の4インチ砲しか持たないオンディーナ号の思わぬ反撃に遭い、同船から放たれた数発の砲弾が正確に「報国丸」に打ち込まれ、その破片が魚雷や水上偵察機の燃料などに引火、誘爆を起こし手の施しようがない状態になりました。
戦域から20浬離れた所にいた、妹「愛国丸」は、直ちに駆けつけて応戦し、オンディーナ号を大破炎上させたものの、その間に姉の「報国丸」は海に沈み、その短い生涯を終えました。
ちなみに火災を起こし機関停止した油槽船オンディーナ号は、その後の乗務員による並々ならぬ努力によって、鎮火され航行可能な状態まで復旧されました。

この作戦を最後に帝国海軍は特設巡洋艦による通商破壊作戦を中止し、「愛国丸」と特設艦として改装済みだった報国丸級三番船(艦)「護国丸」は高速輸送艦としての任務を与えられました。
そして「愛国丸」は19年2月17日トラック環礁にて、米艦載機の攻撃により撃沈され、「護国丸」もまた同年11月10日に五島列島沖で米潜の雷撃を受け沈没しました。

なお一部文献で「船はおろか、船員(正確には水兵)までも女装し仮装していた」と書かれていますが、事実かどうかは不明です。

?

引用参考文献:
(1)『商船戦記』大内 建二 光人社、2004年12月12日発行
(2)『別冊歴史読本第18(414)号 日本海軍軍艦総覧』新人物往来社、1997年7月18日発行
(3)『歴史群像太平洋戦史シリーズ3 勇進インド洋作戦』学習研究社、1994年6月1日発行
(4)『昭和船舶史』毎日新聞社、1980年5月25日発行

●本戦記関連の記事は、私imakenpressの独自考察や推察推測、思考など多分に含んでいます。
●イラスト類は、複数の参考文献を基に私imakenpressが作成してます。よってディテールやスケールなど正確性に欠けます。

投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: