境村分水 梶野境接続水路について

古い水路を調べる上で避けて通れないプロセスに図上調査があります。

私の場合、江戸期の姿を色濃く投影した「陸軍迅速測図」(明治13年頃測量)から30年ほどの刻み間隔で現代に至るまでの地形図を時系列に揃え、そこから得られた流路情報を現代地図にレイヤーする作業を行っています(すべてアナログ作業)。
それら地図の中で、昭和20年代後半から30年代初頭にかけて測量された1/1万地形図が非常に面白く、図中には当時の水路や新田の名称などが細かく記載され、重宝がっています。

今回の境村分水調査にも昭和31年測量の1/1万地形図を用いていて、その図中を眺めていると、砂川分水線上の梶野築樋を挟んで南北二つの地点から分かれ東流する支流が描かれている事に気がつき、この二支を私は仮に “梶野境接続水路” と名付けました。

本渠北側の1号水路は、恐らく梶野築樋が機能不通になった後の迂回流路として設定された水路、もしくは周辺地域の急速な都市化に伴う排水機能を強化するための補助水路と考えられますが、時代背景から農業用水路ではなく最初から下水路として造られたと推察されます。

2号水路に関しても、純粋に砂川分水を活用した下水路とみて差し支えないでしょう。

梶野―境

なおこれら補助水路を “砂川分水” と呼んでも間違った言い方ではありませんが、本来の “砂川分水本線” は、享保17(1732)年に開削された梶野新田分水がそれであり、あくまで梶野築樋を通過し、南下する流路を指します。

――【辿る編 その3へつづく・・・】(梶野新田まで行ってみた) (予定)

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(注記)私的利用の範疇として以下のwebサービスから上記地図を作成しました。
国土地理院:http://www.gsi.go.jp/
●地図閲覧サービス(ウォッちず):http://watchizu.gsi.go.jp/
地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名: 吉祥寺(東京)

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