北府中の引き込み線跡と陸軍燃料廠―現地レポートその2

旧燃料廠方面へ足を進めてみます。


より大きな地図で 北府中からの引き込み線と陸軍燃料廠 を表示

東芝府中をぐるりと一周し、北府中駅に戻ってきました。
ちなみに(A-6)にあるループ橋(?)も面白いです。伊豆の河津七滝ループ橋ほどではないですけど。(笑)

旧燃料廠への引き込み線は、紙の地図にはあまり載ってないようです。(自分はまだ見ていない)
と言うのも戦前の図版では、純然たる軍事施設であり、かつ戦争中ですので載せることはなかったかな(注:戦後の昭和27年測量、1:10000地形図には記載有り。しかも『旧燃料廠』との記載もあり)。

しかし、連合軍が戦争中に作成した軍事地図にはモロ見事載っトリマス。

恐らくはB-29による高々度偵察写真から起こした作戦用地図だと思われます。
テキサス大学図書館ペリー・カスタネダ地図コレクションで公開されており、眺めているだけで結構楽しめます(ちょっと怪しい綴りのローマ字で書かれている地名などもある)。

引き込み線は、(A-7)付近から東南に分岐されていたと推測。

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(↑)いまは東芝さんのビルがあります。

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コンビニがあり、ここから東に向う道があります。

確たる証拠はありませんが、どうも道のカーブ具合が怪しい。

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(↑)ちょっと近づくと・・・

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(↑)さらに拡大。そうです。この歩道のR。

軌道跡だと思います! 思いたい!!

では、道を進みます。

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(↑)この道の歩道が軌道っぽく見える。(気のせいか??)

ちなみにこの道は生活道で、地元の方がたくさん歩いておられました。
撮れた写真はこの一枚のみです。

軌道痕跡はちょっとなさそうです。

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(↑)やがて『府中の森公園』に付きます。

ここから旧燃料廠の敷地だったみたいです。(A-8)が多数点在しています。

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訪れた日が休日でしたので、公園の中は人でいっぱいでした。

引き込み線はこの公園噴水近くで終わりみたいですが、もうちょい散策します。

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(↑)公園を東に抜けると、南北に走る道路にぶつかります。

その道路を隔てて航空自衛隊府中基地がど?んとあります。
フェンスに張り巡らされていますが、中の様子は良く判ります。

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(↑)基地東側から。

航空自衛隊府中基地には、航空総隊(ADC:Air Defense Command)の司令部が配置され、作戦指揮所(COC:Command Combat Operation Center)は地下深くのシェルター内にあるとされています。(もちろん非公開)

航空作戦時にはここで戦闘機部隊や地上迎撃部隊に対して作戦指揮を行うらしいです。

といった地上管制基地ですので、固定翼機の離発着施設はありません。
ただし、基地の西側にはヘリポートがあります。

中央にある正門(京王線東府中駅から伸びる並木道のぶつかる辺り)には基地らしく警備の空自隊員さんが衛兵としていますが、基地は比較的オープンな感じで明るいです。
(陸自の連隊基地とは雰囲気が違います)

そして、(A-9)付近には、ヒコーキがあります

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過去の自衛隊機が静態保存されていて、フェンス越しに撮影(見ることが)出来ます。

写真上飛行機は、F-104J戦闘機
映画『ライトスタッフ』でチャック・イエガーがラスト近くで駆っていたアレの空自版です。
強力なエンジンを搭載し、ロケットのようなたフォルムで“最後の有人機”などとあだ名されたマシンでしたが、本家米空軍での運用期間は短く、機体としてはイマイチだった模様。
しかし空自では、当時の源田実空幕長(元海軍大佐)が自ら米国に足を運び機体調査して、昭和42(1967)年度から配備が開始されました。
その後日本の航空警戒管制システム(BADGE:バッジ)にマッチした戦闘機として活躍し、同61(1986)年全機退役しました。

写真下は国産のF-1支援戦闘機
戦後日本が初めて独自開発した戦闘機で、主に対艦攻撃(対ソ艦船が主たる目的と思われる)を主体として設計されたマシンです。
ゆえに要撃能力には難があったそうです。
原型機が昭和50(1975)年初飛行し平成18(2006)年全機退役。
個人的にはこのフォルムあまり好きではないです。m(__)m 同じ国産機ならT-4練習機の方が好き

さて、今度は北の方へ・・・

実はこの地区の北側には米軍の施設が未だあります。

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府中基地東側の通りを北に向っていくと、何やら怪しい雑木林が・・・・

実はこの中に米極東第5空軍374空輸航空団下の在日米軍通信施設があります。
(ただ上記写真の区域は返還されています)

旧燃料廠は終戦により米軍に接収され、在日米軍司令部が置かれ、あわせて極東第5空軍司令部も併設されました。
その後大部分は返還され、空自基地や公園などに変わりましたが、現在は374空輸航空団の支援部隊、第374通信中隊がマイクロウェーブ塔1基を管理してます。

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(↑)旧燃料廠北側からマイクロウェーブ塔(高さ107m)を見ます。

塔左右のパラボラアンテナ(直径約14m)も在日米軍が設置したもの(対流圏散乱波通信アンテナ)ですが、現在は返還区域内です。

しかしこの景色、結構圧巻。
何となく『メーサー殺獣光線装置』に見える。(笑)

ちなみに付近の浅間山は陸軍の秘匿区域で、防空壕や、はるばる調布飛行場から運んだ機体を隠したり、さらには燃料廠のプラントで製造した燃料をドラム缶につめてそれを地中に集積したそうです。

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(↑)浅間山は今はもちろん平和な山です。

(現地レポート) おわり

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