小金井村分水は、玉川上水および砂川分水(用水)と梶野新田分水との関係がやや複雑になっています。
また、現在小金井市内を西から東に向う堀跡が残る『砂川分水』は、行政名称として『深大寺用水』を名乗っていてさらにややこしくしています。(実際の深大寺用水は、三鷹市野崎より下流域の分水)
【図1 現在の水路】
※小金井村分水は砂川分水から分水している。
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では、享保年間(あたり)の開削当時の小金井村分水の姿とはどのようになっていたのか?
砂川分水との分岐点に立っている解説文には分岐点すぐ北の玉川上水から取水したと書かれていますが、私は違うのではないかと思っています。
結論から言うと以下の図2のような流路だったのでは? と推論しています。
【図2 小金井村分水開削当時の水路(推論)】
※貫井橋付近から取水か?
『小金井市誌』に同様の記述がありますが、水路を図上で見てもこの方が自然に思えます。
なお、現在の砂川分水の流路は、明治3年頃に引かれた新しい水路ですので、享保年間に開削されたとされる梶野新田分水は、図3のように今よりずっと東の小金井橋付近から取水していたのでは? ないかと思っています。
【図3 梶野新田分水開削時(私論))】
※小金井橋付近から取水か?
詳しくは次回 【辿る編】 で現地レポートします。
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地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名: 吉祥寺(東京)