小金井村分水 概略

小金井市のちょうど武蔵小金井駅を中心として北から南に流れる用水路があります。
この水路を俗称ながら小金井村分水(もしくは小金井分水)と言います。

元来純粋な玉川上水からの二次分水でしたが、現在は砂川分水(用水)から分かれる形となっています。
これは、旧幕時代から玉川上水に設けられていた取水樋口が、明治に始まったの通船事業に支障をきたすという理由で廃止され、代わりに西方にあった砂川分水を東に延長する形で、小金井村分水と梶野新田用水を結合させたからです。


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小金井村分水を受益した地区は、ほぼ現在の小金井街道西側の水田に限られます。
(東側台地には梶野新田用水が開削された(別掲予定))

では、歴史をひもときます。

実は、開削期ならびに取水口に関する正確な情報を私は得ていません。
というのも、史料はある程度揃えているのですが、それぞれバラツキがあり恐らくは執筆編纂した郷土史研究家や教育委員等方々の考察方法の違いなどが理由と思われます。

先ず開削された時期ですが、先に野崎分水レポートで書いたときは、

新田開発を行うため元禄年間(1688~1704年)に玉川上水からの取水を幕府から許可され小金井(村)分水が開通しました。

としましたが、これは小金井市教育委員会の名で立てられた“小金井分水”に関する説明を書いた看板(砂川分水からの分水地点に建っている)を引用したもので、平成4年3月と同20年3月付のものに書かれています。

しかしながら、『小金井市誌(歴史編)』(昭和45年発行)によると、
宝永4(1707)年付けで小金井村名主らが幕府出先機関に提出した分水願いが聞き入られ開削されたのではないか?と書かれています。

なお、同市志p.160『江戸時代の水道図』(清書作図)に小金井村分水らしき二次分水の記述があり、これが1715~18年に書かれたものとされるので、元禄13(1700)年~享保3(1718)年の間に開削されたと思われます。

次ぎに開削期における取水口を考察します。

● 次のページ:【小金井村分水 取水口】

注意事項】小金井村分水関連ページは、すべてimakenpressが私的に調べ(文献調査および聞き取りなど)たもので、推測・推理など相当量含みます。歴史的・学術的価値はほぼ皆無ですのでご利用には十分ご注意ください。

引用参考文献:
(1)『小金井市誌 地理編』小金井市、昭和43年3月10日発行
(2)『小金井市誌 歴史編』小金井市、昭和45年10月31日発行
(3)『三鷹市史』市史編纂室、昭和45年11月3日発行
(4)『明治前期・昭和前期 東京都市地図2(東京北部)』貝塚爽平/ 柏書房、1996年1月発行
(5)その他小金井市の説明看板、同市教育委員会

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