調布飛行場付近の引き込み線―辿る編 その2
■ルートマップ(多磨→調布飛行場)
※注意:あくまで推定ルートです。
より大きな地図で 西武多摩川線、中島飛行機三鷹研究所近辺 を表示
中島飛行機三鷹研究所は実に広大な敷地があり、現在の野川公園も同所の敷地でした。
そして私は、次なる現地調査に向かうべくママチャリでハケを駆け下り、一路多磨駅(多“摩”にあらず)の北(B-2)へ。
(↑)(B-1)踏切西側から南(多磨駅方向)を撮影。
多摩川線は単線で、堂々の田舎ぶりがナイス。
しかし肝心の引き込み線跡は良く判らず。
あ、決して鉄道施設に入らないで下さいね。最近かつてのSLブームよろしく、撮鉄と呼ばれる人の中に反社会的な輩がいるらしく古い鉄ヲタの私は憤りを感じています。
(↑)踏切東側か北を見ると緑地帯があるにはあるのだが・・・
(↑)沿線に沿って南へ。引き込み線痕跡は皆無。(涙)
ということで、ショートカット。(笑)
(↑)「わ~警察車両じゃ」で思わずパシャ。
米軍の旧水耕農場方面を撮影。こちらにも引き込み線があった模様。
戦後の米軍軌道??詳細不明。
(↑)(B-2)。ここから飛行場の敷地に引き込まれます。
(↑)現在は『武蔵野の森公園』となっています。ここに軌道があったのかな?
ちなみに調布飛行場についてはこちらをご参照(調布飛行場用水路)ください。
(↑)公園内の池越しに滑走路方面を撮影。
右奥の稜線が国分寺崖線。
ちなみに引き込み線の軌道は、googlemap上の線(結構いい加減)以外にも、滑走路西側その他に存在したようです。
前出リンクの水路跡と違い、軌道跡は全く残っていないでのちょっと(私が)脱線。
前にも少し取りあげましたが、この公園内には大戦中の掩体壕(えんたいごう:航空機を敵機から守るための待避施設)が残っていて、ちゃんと遺構として保存されています。
(B-3)掩体壕その1。詳細な説明文も立て看板に書かれています。
(B-4)掩体壕その2。
(↑)三式戦(川崎 キ61 三式戦闘機『飛燕』)の絵が描かれています。
まあ良いとしましょう。(^_^;)
ちょっとマニアックにディテールを・・・
無骨なコンクリがなんとも・・・
(↑)(B-4)の横には三式戦のモニュメントがあります。
マジかっけーです。
恐らくは陸軍飛行第244戦隊機かと思われます。
ちなみに第244戦隊は現在の空港管制塔付近に戦隊本部と戦闘指揮所があったようです。
(↑)(B-5)調布飛行場管制塔。
引き込み線辿りはなぜか忘れてしまったようで・・・(というか痕跡はないし、空港施設に入れるハズもなく)
この管制塔あたりでゴールとしました。
それと帰りに道によったのでご紹介。
少し離れた(B-6)ハケ上に高射砲陣地跡があります。
ここには東部1903部隊(後の高射砲第112連隊(高射第1師団隷下))調布隊がおり、6門の高射砲がありました。
なお、現在の神代植物公園には、照空隊陣地があり、同連隊の第3大隊第14中隊第6分隊が敵機を照らしていました。
ただし跡地は保育園の中にありますので、見学には事前の許可が必要です。
(↑)陣地付近からハケの坂を見下ろす。結構な斜度があります。
ということで家に帰るのですが、実は三鷹研究所・調布飛行場の敷地内移動の方が家までの距離より遙かにあり、ほどなく家に着きました。
しかしながら蒸し暑い日でした。
【調布飛行場付近の引き込み線ツアー ―完】
2010/6/29 火曜日 at 10:34 AM
うわ~、すごい、一気にUPされましたね~!w
とっても読み応えがあります!!
各種軍事ものにもどきどきしますが(じつはこのうち、いくつか行ったのでわたしもそのうち記事にしたいと思います・・・確実にimakenpressさんよりも知識と資料が足りませんので参考にさせていただきますね)、軌道跡っぽい緑地には暗渠なみにワクワクしました。調布・三鷹ってすごい歴史を持った場所ですねえ・・・。
2010/6/29 火曜日 at 12:06 PM
namaさん こんにちはー。
引き込み線と研究所、飛行場との関係をもっと掘り下げたかったのですがなかなか・・・。当時の軍需物資輸送は最高機密扱いですので、求める資料が少なくかなり妄想(笑)しました。
最近の私の頭の中のキーワードは、引き込み線・軍事関係・工場関係でして、次回も自宅周辺でオモロイモンを探してレポートします!
namaさんの軍事レポートも楽しみしてます!!(私のブログでよろしければどんどん参考にしてください!)
2013/6/15 土曜日 at 3:00 AM
私は調布飛行場のすぐ脇に住み、調布飛行場を幼い頃から高校の頃まで遊び場としていました。引き込み線ですが、ジャムコ脇の大沢六丁目に抜ける道が、ガタガタの未舗装の雨の日は水溜まりだらけになる道だった頃、ジャムコから昔の倉敷飛行機の大きな格納庫のエプロンにかけて、先程の道を横切る形で線路があったのを良く覚えています。線路は半ば土に埋もれて
いたのですが、ボコボコの為、線路がかなり露出しているところもあり、下手に自転車で線路に乗り上げるとリムが曲がってしまうのではないかと心配しました。
調布飛行場は当時の子供には、ガラクタだらけで遊びの天国の様な場所でした。懐かしい場所です。
2013/6/15 土曜日 at 8:26 AM
カマキリ号さん はじめましてimakenと申します。
有力な情報、ありがとうございます!!
私も昭和40年代〜50年代初期の幼少・少年期、大沢たんぼ(のハケ沢)ー飛行場ー関東村近くなどで遊んでいたのですが、どうにも軌道の記憶がなくて…
しかしとにかく懐かしい場所です。
今でも、かつてと居住地は違いながらも調布市在住で、ちょくちょく武蔵野の森公園など遊びに行くのですが、当時と比べ本地域が小綺麗に整備されてしまったので、面白味は少なくなりましたね。
これを書いていて40年近く前、暑い夏、砂利道だった頃の現七中周辺にあった防空壕で遊んだことを思い出しました。楽しかったですあの頃は。