入間川養水:辿る編 その8(中仙川西分水)

■ルートマップ(中仙川分岐点~滝坂下)

※注意:あくまで推定ルートです。

より大きな地図で 入間川水系 を表示

この水路は、入間川の水を金子村方面に引くために掘られた水路です。
中仙川本流は、同村で大きく(北を上として見て)逆Sの字を描く流路の最終カーブ手前で分岐します。(C-1)

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この分水路こそ“入間川養水”と言いたいところですが、実はそうではなく、入間川水系全てが通俗名称として“入間川養水”と呼ばれたようです。
それも明治以後ではなく、 それ以前の仙川分水と呼ばれる古水路が元祖で、玉川上水から引いた水を中仙川(入間川)に落とし水量を得、西の金子村方面への分水(根田耕地用水)やその他中仙川村以南にあったであろう水田への細分流へ利水していたと思われます。

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(↑)橋の一部が今も残る中仙川橋跡(C-2)。最後の橋ができたのは昭和20年代らしいです。
『写真集 みたかの今昔』で当時の姿を見ることが出来ます。

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(↑)中仙川橋より先。インターロッキングで水路を塞いでいます。

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(↑)(C-3)地点。ちょっと判りにくいですが、水路は谷底です。
(私の影が・・(笑))

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(↑)(C-3)より先は、三鷹市が設置した自転車置き場になっています。
水路跡を利用した自転車置き場は多く見ていますが、なかなか良い利用例だと思います。

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この先は、本流編で間違えてたどり着いた滝坂下に出ます。(C-4)

この滝坂、その名の通り坂で、甲州街道にあります。
そして、その旧道があり、そちらはなかなか趣があります。
(そのうち写真録ってきます(笑))

この先は、深大寺用水東堀と接続した形になっていますが、時系列上こちらの中仙川分水の開削がかなり先で、その水路を改良工事したのが金子地区以降の東堀です。

 (中仙川分岐点から滝坂下まで全長約0.95km) 【中仙川西分水―完】

これまでのコメント

  1. KAKASHI-NEKO :

    imakenpressさんこんばんは、入間川シリーズ一気に読ませていただきました。
    すばらしいですね!!私の疑問が一気に氷解しました。終戦直後の航空写真などから、水田の状況などを見て水路を推察してみても良くわからない点の多かった入間川ですが、これらの記事から全体像が見えてきましたね。この川のことを系統だって調べた資料は今まで無かったのではないでしょうか?

  2. imakenpress :

    KAKASHI-NEKOさんこんばんは。
    入間川は本当に不明な部分が多い川ですよね。川の姿にしても「中仙川」地区の写真などはあっても、それより上流の源頭部付近の様子を伝える(目にすることができる)史料はなかったり、いわゆる『品川用水西分水』(仙川分水)について詳しく書かれている文献などは非常に少ないなど、かなり推理めいた謎解きで記事を書きました。
    水源が枯渇し、明治初年に深大寺用水が開発されてからは“忘れられた古水路”になったと思いきや意外にもそうでもなかったりと、調べていて「面白い水系だなあ」と改めて感じました。
    それといま、江戸時代の三鷹周辺の水事情を記した史料を色々探している所です!(絵地図があったら見てみたいです)

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