入間川養水:辿る編 その1(本流上流部)

■ルートマップ(源頭部→原山通り交差点)

※注意:あくまで推定ルートです。

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さて、11月三連休になったので水路を調べまくろう! と思ったもものまとも晴れるのは11/21のみらしく、一日で全流域の現地取材(地元だが(笑))。

※午前中、秋の遮光が入る逆光写真が多く見にくくスンマセン…

(取材日:2011年11月21日)
まずは、入間川の源頭とされるところから。
それは通称野ヶ谷通りと呼ばれる地域道のほぼ北端にあります。(A-1)

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(↑)東八道路から少し下った位置にあります。

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(↑)現在は案内の碑が建っています。
大川と書いてありますが、かつてこの辺りでは、野川、仙川、入間川など全て通称“大川”と呼ばれていました。

野ヶ谷通りは文字通り浅い谷の底が南北に延びていて、かつて川であったことが実感できます。
ただ、河川跡や暗渠らしきものは、最上流では見られず。

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(↑)すわくぼ児童遊園。諏訪神社近くの窪の意味で、いかにも河川沿いらしい名前。

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(↑)三鷹通りを横切ります。この少し先の、向かって左側にある崖線下に湧水池“釜”(A-2)があったらしいですが、現在は住宅地であり、撮影などはしませんでした。

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さらに下流へ。ゆるい下り坂です。
ちなみに深大寺用水は、野ヶ谷通りと平行する西側の通りにあります。

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通りの下流方向左側歩道が下水化した姿と思われます。
なお、クルマの交通量が結構多く、飛ばす輩もいるので、徒歩自転車での追跡は要注意です。

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(↑)(A-3)消防大学通り交差点。野ヶ谷地区の中心部です。

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(↑)(A-3)から少し下ったところに暗渠あり、この部分は私の中学生だった前後(昭和50年代中頃)は確か開渠されていたような…。

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(↑)(A-4)原山通り交差点すぐ手間の暗渠。

源頭部からこの辺りまでが、“野ヶ谷田んぼ”と呼ばれていた水田地帯で、昭和20年代に撮影された航空写真でもまだ見ることができます。
田んぼが埋め立てられ、住宅団地化したのは昭和36年前後とのこと。

【辿る編 その2へつづく・・・】(み、水が!?)

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