あの夏、“しんかんせんくん” との別れの日

過日の朝、病院を経由し仕事場に向かった。
みちすがら、とある児童公園の前を通過する。
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幼少期、肌身離さず常に持ち歩いていた小さい塩ビ製人形があった。
それこそ、入浴中や就寝中もそばに置き、大切に可愛がり、常にいっしょだった。
その人形とは、新幹線をデフォルメし擬人化させたものだった。

お盆が過ぎ、夏が去ろうとしていたある日。
ともだち及びその父親に連れられ、自宅から少し離れた場所に在った児童公園へ遊びに出かけた。
もちろん “しんかんせんくん” もいっしょだ。
その公園は通称 “タイヤ公園” と呼ばれ、園内中央に古タイヤをピラミッド状に積み重ねた遊び場を有していた。

遊び盛りな年頃なので、夢中で古タイヤの山を登り降りしたり飛び跳ねて遊んだ。
だがあろうことか、右手に持っていた “しんかんせんくん” を何かの拍子から古タイヤの山の中で自分の手から離してしまった。
幾重にも積んだタイヤは、とうぜんながら中空で、“しんかんせんくん” は真っ暗で底の見えない下に落下した。

タイヤの中に手を入れたが “しんかんせんくん” は見つからない、見かねたともだちの父親が来て、まさぐってくれたが見つからなかった。

塩ビというたんなる無機質な工業製品にすぎない “しんかんせんくん” ではあったが自分にとっては弟であり親友であった。
そしてそれは、「友人」とのはじめての別れであり、号泣した。

程なくして遠くで雷鳴が響いた。
夕立になりそうな空模様になったため、皆で帰宅することになった。
頭を垂れ泣きながら歩いた帰路。このとき聴いた寒蝉の鳴き声は未だに耳に残っている。

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あの日から四十数年の月日が過ぎた。
この公園は古タイヤの山は既にないものの、ほぼ昔のままの状態で現存している。
そしてここを横目で見て通る度に “しんかんせんくん” の事を思い出し、いまだに目頭が熱くなる。

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