旅の記憶―松江~浜田~萩

過去の旅の記録です。
※現在とは状況がかなり違うと思いますので参考にはなりません。

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【計画】輪行利用。島根県松江市から日本海沿いに西に進み、出雲、江津、浜田、益田と進み、山口県に入り萩、長門を経て下関まで走行。
【日時】平成5年5月3日~5月8日
【コース】(5/3)輪行、夜行列車[泊] (5/4)→JR松江駅(スタート){R9}(出雲往来)→宍道湖→出雲市{県道161号}→出雲大社{R431}{R9}→田儀→大田[泊] (5/5)→江津→浜田→益田[泊] (5/6){R191}→飯浦→田万川→須佐→宇田郷→木与→萩[泊] (5/7)<計画>…長門…JR下関駅(ゴール)
【走行距離】約345km(実際245km)

《5月3日》(天候:晴)
やや体調不良の状態で、東京駅から、寝台特急出雲1号に乗り込む。

《5月4日》(天候:晴)
松江駅に7時37分到着。駅食堂で朝食を摂り、ノートン号を組み立て8時30分宍道湖方面にこぎ出す。
駅を出て直ぐに宍道湖到着。

R9は交通量が多く、宍道湖西端より国道を外れ、北側の広域農道を出雲大社方面に進む。
体調が余り良くないせいか、なかなか前に進まない。
11時30分頃に出雲大社に到着し昼食(山かけそば)で。人でいっぱい。大社および旧出雲大社駅舎を見学し、交通安全を祈りつつ後にする。
南下し、再びR9に入り西に進む。

山陰道は、小田あたりでようやく海が見えたと思ったら、また内陸へ入り15時30分、宿泊予定地大田に到着。
駅前で宿を探し、町中にある「T荘」に宿泊。
体調は良くない。
この「T荘」は、結構人気があるようで、開かれた宿帳を見ると県外の人も多数泊まっている模様。
ただ遠路東京からは自分のみだった。
体調が悪く、食欲もあまりないのだが、夕食は「焼き肉」と称する「ステーキ」(+豆腐焼き)だった。
いつもならバクバク食べられるのはずだが、さすがにほとんど食べられなかった。(まずくはないです!)
寝付きが悪いながらも早め就眠。酒なし。

《5月5日》(天候:晴)
7時起床、「T荘」の朝食はまたまた鉄板焼で、コロッケ多数+豆腐焼きだった。
当然あまり食べられず(体調良くてもだめだと思う)、豪快な女将に見送られ8時40分出発。
今度は体調の良いときにこよう。
今日はゆっくりと西に向かう。
計画の段階では、“海沿いツーリング”のはずだったが、現実には違った。
山陰道は、ひたすらの山道、登っては降りまた登っては降り、そしてトンネル。
体力が消耗する。
とあるトンネルに入る前に、小型バイクに乗った警官に制止させられる。
バイク(CD90)からして、“警ら”さん。
「ここトンネル多く事故が多いから気をつけてね~」
と言われ、念のため身分と行き先を聞かれる。
12時、まずは江津市に到着(ちなみに読み方は“ごうつ”)。
ここにはかつて日本海海戦のおり、戦傷を負ったロシア海軍特務艦「イルティッシュ号」が漂着した所で、当時のロシア軍人に思いを馳せる(なお、重傷者を含む艦長以下乗組員235人は、当時の住民らに救助された)。

パンとコーヒーで昼食をし、再び山道に入る。交通量は多く、道は狭いところがありトンネルなど危険極まりない。
途中、浅利駅で休憩中に、地元の初老男性に声を掛けられ雑談。
若い頃は良く東京へ出稼ぎに行ったそうだ。
「こんな山国へねぇ~」
という言葉が印象的だった。
決して順調ではないながらも、浜田(13時)を経て益田に17時30分到着した。
宿を探し宿泊。
本日は素泊まりになり、近くで握り寿司と朝食のパンを買い、早め就眠。

《5月6日》(天候:曇り一時雨)
朝起きたら歯が痛い。
しかしなぜか昨日より体調が良かった。
9時15分、山口県に向け出発。
しばらく海岸線に沿い、快適に走るものの、アクシデント・・・。
前輪650Bがパンク。幸い海に近い景色の良いロケーションで、これまた幸い道沿いに東屋がありそこにピット。
休憩をかねパンク修理。
タイヤは無事。レバーで破損チューブを引き出し、パッチを貼る。
(予備チューブがあったが、あえて修理した)
修理と休憩で1時間使い、再び萩に向かう。
今日の道程はやや短いのでゆっくり走るが、相変わらずの山道。

しかし今日は、トンネルをなるべく使わず、旧道の巻き道(峠など)があればそれをあえて使う。
逆に快適だった。
そして島根県飯浦からトンネルを抜け、11時30分山口県へ入る。
気持ち道幅が広くなり、自転車の走行には不自由なかった。
須佐に着き、昼食にキスフライ定食(550円安い!)を食べ元気。13時発。

須佐の先に「大刈トンネル」という1.4kmの自転車としては長く感じる“難所”があるため、地元の人にトンネルを避ける道を教えてもらいその旧道を行く。
現在は県道343号と呼ばれ、途中「大刈峠」というピークを越える事に。
ただ、対向車など全くなく快適な登りだった。
(もう一本、「サエガ峠」という旧道も使った)
その後タイヤはトラブルなく16時30分萩に到着。
閑散とした萩駅(萩市の中心部は東萩駅周辺)近くの観光案内所で宿を探してもらい、東萩駅に近いロケーションの宿に泊まる。
到着後、達磨顔のご主人(失礼!)が鎮座する薬屋に行き歯痛止めと栄養ドリンクを買う。
この宿がとても面白い所だった。
女将が話し好きで、夜雑談にふける。
萩の話しや歴史の話しなど絶え間なく続き、体調悪いのを忘れビール飲みまくり。
女将が会津に行った時の話しが印象的だった。
会津の人に同じ話(山口県のこと)を聞いたときとちょっと違った観点だった。
(【内容は伏せましょう。私、幕長どちら派でもなく中立です(^_^;)】)

《5月7日》(天候:晴)
宿で話しを遅くまでした結果、本日の走りは中止した。
萩をゆっくり回ることにした。
女将曰く「足早で行くのはもったいない」
ごもっともです。
重い荷物は宿に残し、軽装で市内をサイクリング。
自転車で回るのがちょうど良い。(ただ「外人さんは歩くよ~」by女将)
この日は一番楽しかった。
松下村塾や反射炉、志士たちの生家跡、萩城などぐるぐる回った。

夕方宿に戻り荷物を受け取とって、ノートン号を輪行袋にしまい、東萩駅16時39分の特急「いそかぜ」(旧国鉄色181系気動車)に乗る。車内は空いていた。
18時25分、下関に到着し、回転寿司でビールを飲みながら寿司を食べたり、駅コンコースで時間をつぶし、20時45分発の寝台特急「みずほ」にて帰路についた。

《5月8日》(天候:晴)
11時3分、定刻通り東京に到着した。
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山陰道はやはり「山」です。
体調悪く、辛い道のりでした。
ただ最後に泊まった宿で辛いのは全て吹き飛び、最終日とても楽しかったです。
※この旅を最後に、ノートン号は一線を退きロングツーリングに行くことはなくなりました。

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