東人獨愼録―農村青年の大東亜戦争史(2)

【東人年譜 1】

大正14年3月 栃木県にて生まれる。幼少時より原因不明の病気に冒され、頭痛と倦怠感に悩まされる

昭和18年10月 徴用出頭命令を受け徴兵検査。丙種合格。内地で農業に従事するとともに勉学で力を磨く事を決意する

 

 

■昭和17年 ―皇軍シンガポールへ その1

1月1日(木) 快晴 起床5時10分
大東亜戦争赫奕たる先勝の内に紀元二千六百二年昭和十七年の新春を迎へた。

東人は元旦に、水浴びをした後、地元神社に詣で、“智、仁、勇” の三徳修練を目的と記している。
そして翌2日、東京大森の叔父宅に餅を届けに妹と東武電車で行く。
東京は、

憲兵が巡ランしたるのが目立つ

とあり、改めて帝都が戦時体制であることを知った。

1月8日(木) 快晴 起床 5時40分
大東亜戦争勃発一カ月になった。猛勇忠烈なる皇軍は敵の対日包囲陣ABCDを一挙に轟破して今やシンガポールに迫らんとしているハワイは既に撃爆され香港、マニラ、グアム、ウィーキ我が手に歸しマレーにボルネオにルソンにどとう如き進撃を続けてゐる。米英艦隊は戦前の豪語もどこへやら太平洋へ其の姿見せず一方我がくろがねの力は遂に米沿岸にまで出動して全太平洋を勢圧とゐたる。空に日の丸地にも日の丸そして海にも日の丸は輝いている。大日本帝国万歳!天皇陛下万歳!

戦勝が続いていた日米開戦直後らしいエピソードで、農村青年でもソースを入手できる新聞報道もほぼ事実のままだったと思われる。
米沿岸まで出動とは、第六艦隊潜水艦部隊がハワイ作戦直後から行った北米大陸沿岸部での商船攻撃作戦のことだろうが、意外と正確に国民に伝わっていたことが判る。

(つづく)

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