モノのカチ

先日、叔父のカッちゃんが亡くなった。
いわゆる孤独死で、終の棲家はある地方都市のアパート。
定期的に回っていた地区の民生委員が、カッちゃんの部屋を訪ねたときすでに旅立った後だった。
なので、その死因や死亡日時ははっきりとしていない。

(左から二番目が私の父(故人)。伯母叔父を挟み一番右の赤ん坊がカッちゃん 昭和12年)

生前、複数の結婚歴がある遊び人として有名で、いい加減な人間だったが、末弟であった彼は姉や兄らにたいへん可愛がれていた。
私の亡父は彼の兄にあたるが、やはり自分が死ぬ直前まで弟のことを気にかけていた。

カッちゃんは晩年糖尿を患い、その合併症に悩まされおり、経済的にも困窮を極めていたため生活保護を受けていたのだが、事あるごとに父は、

「カッちゃんよ。本家の世話になれって。メシぐらい食わせてもらえる」

と言っていたがカッちゃんにはカッちゃんのメンツとかプライドがあったらしく、聞く耳を持たなかった。
何せ10年ほど前までは、高級セダンを乗り回しカネ回りも良かったモンだから、自分に許せなかったのだろう。

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叔父の死は、本家を経由し一族末端の私にも連絡がった。
取り仕切っているのは本家代表である私の従兄弟。

「カッちゃんは墓なんかないから本家の墓に入れようと思ってんだよ」

「葬式はコッチ(本家のある土地)で簡単にすますよ。ただ主だった親族が1万円ずつ出し合ってその費用にしようと思ってるから」

と言うことで、近い血縁者数人が1万円を出すことになった。

実は私、二年前に亡くなった父の遺品やら残していった物を整理しているのだが、先日父が半生をかけて収集した数百点の書物を古書店に売った。
捨てるのは忍びないので、売れば誰かの手に渡りそれはそれで父も喜ぶだろうと思ったからだ。

父は生前、

「俺が死んだら、このカチのある本は図書館に寄贈しようと思ってる」

死んだら寄贈できないじゃん。と突っ込みたくなるがそれは良いとして、保管状態も悪いしボロボロになった本など図書館だって受け取るはずがない。

「売れば数十万円になるな。オイken、死んだら売るなら売っていいゾ」

とも言っていた。

しかしながらその清算金、すなわち売れた値段は1万円。
ちなみに妻が同じ店に売った少女漫画50冊ほどは2千円になった。

これがモノのカチだ。資本主義である以上しょうがない。
いくら収集した本人がカチがあると思ってもそれを欲する者、需要がなければカチは全くない。
市場原理だ。

そしてこの1万円は、そのまま書留の封筒に入り、父の故郷である本家に送金した。
カッちゃんの葬式代だ。

 

モノのカチとは何か・・・・
改めて考えさせられる今日この頃である。

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